戻る
発明家体験談  京都府 M.K様より提供
『建物の避難梯子装置』開発奮戦記   

『助けてー』。テレビに映し出されるそのシーンからは、7階の窓にしがみつく人々の声が聞こえるようだった。
昭和47年5月13日午後11時頃、大阪南、千日前でデパートビルで火災があった。
焼損面積8700u、死者118名、日本ビル火災史上最大の大惨事であった。

真っ赤な炎が吹き出す窓の外には、必死で助けを求め、叫ぶ、大勢の人々がしがみついていた。
けたたましく鳴るサイレン、避難者、消防関係者、野次馬、叫声、怒号、山のような群衆が見守る中、遅々として救助されない人々は、熱風に耐えかね、次々と墜落し、道路上に叩き付けられた。
まくれ上がったスカートの下には、ストッキングが太股に焼けただれていた。

『なんと言う事か。』
この情景を映し出すテレビを見ていた当時24歳の青年は震撼した。
『月面を人類が歩く様なこの時代に、あんなに必死に成って、助けを求めている人々を、何故、助けられないのだー』。
人生半ばにして、突然死に直面し、窓にしがみつく人々の胸中、いかばかりであったろうか。

以後この疑問は青年を虜にした。何故この様な事態に成るのか。色々調べている内にだんだん分かってきた。
集団社会の歪みや人間とは?と言うことまで係わってきた。
問題は技術的な事だけでは無かったのです。
不法駐車が消防車の進行や消火栓の開栓を妨げる。
野次馬が消化活動の妨げになる。電線、電話線、看板、アーケードが梯子車の活動を邪魔する。
これらに屋上のドアに鍵が掛かっていた等の建物要因、食い逃げをおそれたドアーボーイがエレベーターに乗ろうとした避難者を押し戻した事、避難階段が仕切りで隠れていた事。
人間の欲望と生活、集団と個人、金儲けと競争、これら多くの事が、直接的、間接的要因となって、あの大惨事に吹き出たのです。
これらの問題を解決するには一体どうしたらよいのか。疑問はいつしか解決方法を模索する事へと変わっていました。
長い間もだえながら思考錯誤し、私の出した結論は、机上の理屈ではない、現実に採用され易い避難器具の開発でした。
防災機器は金を生むわけでも無く、普段の生活にも必要ありません。
そんな物が普段の生活の邪魔になったり、スペースを占領したり、ましてや高額の費用がいる物などでは誰も設置しません。
法律で決められた物でさえ設置されないのに、任意で設置するなど、とても無理です。かといって消防車の到着を待ちわびても、前述した現実があります。

しかし多くの火災事例では、梯子や立樋と言った、とても簡単な物で、多くの人々が逃げ延びている現実があるのです。
この事実から、問題は被災した現場に於いて、避難手段が現実に『ある』と言う事が最も重要な事である、との結論に達しました。
その為には、安価で、施工がし易く、どんな建物にも付いて、普段は邪魔に成らずに、そして必要時には瞬時に使用状態に出来、説明書を読まなくても使い方がすぐに理解でき、そして安全な物。
この全てを満たさない限り、設置はされない。机上の空論では無い、現実に採用される物、これを考え出すことが解決の道だと考えました。
そして出来上がった物は、最初に考えたネットロールの片鱗も残さない物となりました。

『実用新案登録、1974057号、建物の避難梯子装置』
これが私の出した結論でした。
振り返って見るとあの日から13年の月日が経っていました。私の青春を注ぎ込んで取り組んだものでした。
そして次はその普及でした。
色んな所へ紹介しました。
書留を書き、電話を掛け、足を運びました。
木枯らし吹く京都河原町、灼熱の太陽が照りつける大阪御堂筋等々。
サッシ、シャッター、機械、造船メーカー、鉄工建設会社等。
関係機関の日本の名だたる企業には殆ど紹介しました。
しかし採用に至る所はありませんでした。

対応の仕方は千差万別でした。評価も頂きましたが、利潤を生みだす企業の目的にはそぐわない様でした。
PL法(生産者賠償責任)等の懸念や、防犯上の責任転嫁等の問題があるようでした。
ルールや法律、考案の目的を純粋に素直に行使できない集団社会の難しさや人間の行為。これが又人間の生き方を難しくしているように感じました。
解決方法は前向きに考えればいくらでもあります。
般若心経には色即是色、空即是色と言う一節があります。観点を変える事、又価値観を変えることで方法はいくらでもあるのです。
しかし相手にその気になって貰うのは時間も費用資金もかかります。
この事で誰からも給料をもらえない個人では、この事は無理だと判断し、そこで企業を諦め、行政に行きました。
地元消防署、消防局、防災センター、南消防署、日本消防検定協会、日本消防設備安全センター等々、しかし関心のある人には巡りあえませんでした。
つまりこれだけ回っても、どこにもこの問題を検討し、解決する人に巡りあえなかったのです。つまり製品としての、許認可をする人しかいなかったのです。

そこで自治省消防庁長官に手紙を書きました。ところが何時まで経っても返事が無いので電話を掛けました。
すると信じられないような返事が返って来ました。
『この様な事には、返事はしておりません』
「えー、ほんとですか、それは何故ですか」
『この様な提案は毎月何百通と来るので、一切返事はしておりません』
しばらく声が出ませんでした。

「民間企業でない行政が、国民の声に何故、返事をされないのですか」。
『そう言うことに成っています』
「それはおかしいのではありませんか、行政が国民の声を一切門前払いする、それはおかしいのではありませんか」
『そう言うことに成っているのです』
「それはおかしい、貴方の名前と担当部署を教えて下さい」
『しばらくお待ち下さい』
しばらく待っていると『ツーツーツー』と電話は切れました。

どういうことでしょう。
以後その件で色々抗議しましたが無しのつぶてです。これが世の現実かー。私はがっくり来ました。
消防行政は年間1兆2000億円もの予算を使うのに、どこにもこの問題を検討するところが無いのです。
内容を検討して、あれが駄目だ、これが駄目だと言うのなら納得が出来るのです。

しかし何故、門前払いなのでしょう。
国民の防災意識を高めるとのかけ声で、色んな行事がありますが、私にはあれ以降むなしく聞こえます。
そしてまだ返事を貰っていなかった鉄工建設会社にも電話を掛けました。
すると『返事の無いことが返事だと思え』と言う内容でした。
私はすっかり落胆してしまいました。

そんなこんなで元気の無い日々を送っている時、ある本のページが眼に留まりました。確かプレジデント誌ではなかったかと思います。
そこには東北の哲人、宮沢賢治の最期が書かれていました。
彼が結核で37歳で生涯を閉じる死の前夜、農作指導を請う農民に、正座して農作指導を行う賢治の様子が書かれていました。
この事実を知ったとき、私は誌面にボタボタと落ちる涙を禁じ得ませんでした。
『こんなにも真摯に、人生を生きた人がいたんだー』
溢れる涙が止まりませんでした。その後、彼の作品を読みました。
『雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ』を初めて全文読みました。
『銀河鉄道の夜』には、氷山と激突したタイタニック号の乗客が出てきます。
『グスコーブドリの伝記』にはカルボナード火山を爆発させ、温暖化で冷害地東北を豊作にさせるブドリがいます。
『風の又三郎』には私達の年代が、子供の頃遊んだ記憶が蘇りました。作品は彼の心そのものだと思います。
この賢治の様な人が実在した事実を知ったことによって、又その作品に触れた事によって、再び元気が出てきました。
その後、私の関心も環境、自助具、産業の活性化と変わっていきました。これにも色々奮戦記があるのですが、それは又報告します。

・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.・.

話は戻って、木造3階建ての住宅は、避難路であるべき階段が煙突となって、火災被害を煽ると言った悲惨な事例があります。
小さな面積の所に、階段を二カ所設ける等の場所を取る、二方向避難の設置は無理ですが、私の避難梯子装置さえあればこの問題は解決するのです。

昨年、一昨年と、円ショップ武富士、青森支店放火事件、新宿歌舞伎町の火災事件がありました。
1973年には熊本県大洋デパート火災で103名、82年にはホテルニュージャパン火災で33名の方が亡くなられました。
何れも人生半ばに於いて、突然の又無念の死です。我々が、この犠牲者に成らない保証はどこにもありません。

歌舞伎町火災のように、欲望の渦巻く町に於いては、生命の尊厳は『運』でしかないのでしょうか。
そんな情けない世の中なのでしょうか、私の考えた避難器具さえ普及していれば、と残念です。
千日デパートビルの後には、何事もなかったかの様にプランタン難波ビルが建っています。
新しい建物は新しい法律によって、新しい防災設備によって比較的安全度は高まっています。問題は古い既存建築物です。
この古い既存建築物にも簡単に設置が出来るモノでなければ、真の問題解決では無いのです。
どなたか資金を持っておられる方、事業化して下さい。尚この実用新案権は権利満了していますので、今は誰でも自由に使えます。

【アイデアの仕掛け】
八幡発明グランプリの人物紹介の欄にも展示<http://yawata.kyoto-fsci.or.jp/column/index01.html>

梯子の立て桟と横桟の交差部を、角度90度分だけ回転出来るように組み立てたモノを二台、建物窓外に、人の通れる幅を開けて配置し、建物外壁に取り付け固定します。
建物外壁と梯子2台が構成する合計3面で三角筒条の垂直避難通路が形成できます。
この避難通路を窓のある外壁、又はベランダ外側に取り付けます。
普段は1台の梯子の立て桟同士が横桟を挟んで、1本の筋条に折り畳まれています。
外観上は二本の筋状物が外壁に垂直に走っているだけです。
従って窓の持つ機能である、通風、採光、視界を殆ど妨げません。

火災が起こると窓を開け、立て桟を押すだけで一瞬にして、転落墜落の少ない垂直避難通路が出現するので、窓から出てこの垂直避難通路に入り、安全な階まで降りたら、その階の窓から室内に入り、より安全な建物内を通って避難しても良いし、地上まで降りても良い。
基本的には手動だが、煙感知器とソレノイド(電磁石)を組み込めば、自動的に外部空間に垂直避難通路を一瞬にして出現させる事も出来ます。
オプションでは新鮮空気を立て桟に送り込んで煙の中でも呼吸できるモノもあります。
平常時に泥棒等の侵入者によって、梯子が開いた時、ブザー、警報、信号を出して検知するのは簡単な技術で出来ます。

 【アイデアの効果】
1、マンションベランダの床避難ハッチの様に新築時で無くても取り付けが出来るので、既存建物にも設置できる。
2、鋼製アングルだけでも製作できるので安価である。
3、設置面積が殆ど不要、使用時のみにはみ出す事が出来るので、道路上の使用も検討可。
4、窓の持つ、通風、採光、視界の機能を殆ど妨げない。
5、しかも窓という、誰もが逃げ場所だと思う所に、避難手段があるので分かり易い。
6、梯子なので誰にも使い方が分かっている。(緊急時に説明書を読まなくても良い)
7、立体梯子なので、両足を跨いで立つことが出来、身体重心を梯子上に乗せることが出来、手が疲れない。手を離す事もできる
8、周りを囲まれた筒状の中にいるので高層階でも不安感が少ない、10階で体験済み。9、瞬時(1秒)に使用可能状態に出来る。
10、木造3階建て住宅は階段が煙突効果を発揮し、避難通路である階段が一番危険という側面を持っている。
   面積の小さいところに二方向避難の原則は無理である。子供部屋が多い3階で火災が起これば、上がることさえ出来ない。

本考案はこの難問を簡単に解決する。
あの日から30年が経った今でも、これ以上現実問題に適した避難器具を私は知り得ません。
千日デパートビルの建った1932年(昭和7年、柳条湖事件の翌年)は、皮肉にも我が国最初のビル火災、白木屋デパート火災(12月16日午前9時頃)があった年です。
この火災でも14人の死者が出ています。

災害は忘れた頃にやってくる』で有名な物理学者、寺田寅彦は、火災が客の混雑する昼頃であれば、犠牲者は何十倍にも成っていたであろうと言っています。
新しい建物には最新の法律が適用され、安全度は上がっています。
千日デパートビルの後にはプランタン難波ビルが何事もなかったようにたたずんでいます。
しかし既存建築物は、新宿歌舞伎町火災が、その現実を晒しています。
木造3階建て住宅は敷地不足の為普及していますが安全対策は何もありません。
本考案は20万円程度で安全が確保できると思います。